不可解事件簿、無駄な努力
日本人は努力を美徳と考える。
小学生の頃から一貫して、努力の大切さを叩き込まれる。
そのせいか、大人になっても、努力を中心に仕事をしたり、考えを巡らせたりする方が多いようだ。
私とて、決して努力を否定するものでは無い。
しかし、政治、教育、福祉、公共事業等、努力だけではダメな事が多はずなのに、こんな言葉が便利に使われる。
“努力義務”となっています。
この努力義務、一般には、「〜した方が望ましい」と解釈されている。
要は、あんたの裁量に任せるわ、と言うこと。
読者諸氏、どうだろうか。
ハッキリとルール化せずに、みんながちゃんと事務所の掃除をするとお考えだろうか。
まず、無理だ。
私自身としては、この様な中途半端ルールが大好物なので放置し観察がてら日記を付けて楽しめるが、普通に真面目な方にはキツイだろう。
まったく掃除をしない人の頭の中は、一体どう言ったことになっているのだろうか。
そして、必ずと言って良い程、「ルール決めてくれたらやりますッ」と、怒り気味のカウンターが飛んでくる。
これからの個体には、努力義務がルールとして認識されない事を理解しなければならない。
特に、管理職になってある程度経験を積むと、人人(ひとひと)摩擦を軽減する為に、罰則が存在しないこの中途半端な努力義務を多用する者がいるが、いずれ自滅することになる。
「それは、気付いた人がやる」という事にしよう。
言うときますよ。努力義務では、事務所が綺麗になりません!
因みに、以下の表記は、幼き日よりずっと気になっていた記載だが、これも一種の努力義務なんだろうか?
*コインロッカーに預けられ無いもの
(2)死体↓
今まで、この注意書きを見て「死体はダメなんかぁ」とロッカーに入れる前に躊躇った人おるんかなぁ。
何某かの罰則があるにせよ、既に死体を抱えた状態で「クソ!預けられ無いのか」と悩むやつはいないと思うんだが、この努力、いつまで続くのだろうか。
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