不可解事件簿、選んで、選んで、それで、
人は、その歩みの中で、さまざまな選択に迫られる。
小指か薬指か、、、
私は、小指派である。
フィット感から申し上げると、薬指の方が遥かに勝っているのは間違い無いが、機能的にはどうしても小指に軍配が上がる。
そう、鼻を穿(ほじ)る時に使う指の選択だ。
中には、人差し指をグッと押し込んで、グルリ回し取りされる諸氏もおられるかも知れないが、邪道と言う他あるまい。
ただこう言い切ると、必ず反論めいた意見がでるので、先んじて理由を記しておきたい。
簡単、人差し指では、目標物を更に奥へ追い込む率が上がるからである。
あッ、と思った時はもう遅い。
その後、幾ら追いかけようが指先からの反応は無念の一言のみだ。
お分かりか、人差し指はダメなのである。
こんなありふれた日常の中にも、意外と大切な選択が隠れている事が楽しい。
さて、読者諸氏に置かれては、日々如何な選択に身を委ねられているのだろうか。
風呂か飯か、
カレーかラーメンか、
パンかご飯か、
徒歩かバスか、
テレビかラジオか、
理系か文系か、
トヨタか日産か、
ニコンかキャノンか、
はたまた、
今夜のおかずは、あれかこれか、
どちらを選ぶかで随分と違った結果になってしまう。
諸氏もこれまで数多の選択に躓いてこられたのではあるまいか。
身近な所では、結婚されている場合、今夜、じっくりと相手の顔を見ていただきたい。
あの日、あの時、この人を選んでしまった選択、何故であったのだろうか。
あまり、考え過ぎるのもいかがかと思うが、、
眼前の君が、その選択の結果だ。
どうだ、大丈夫だろうか、心は乱れていないか、ま、気持ちは皆一緒だ、安心めされよ。
残念ながら、2、30年ぐらいの経験(増して大人になって10年そこそこ)で、そもそも当たりを選択できる程、人選びは簡単では無いのだ。
ハズレても、仕方ないのだろう。
私は、これまで、中華かイタリアンかの選択で二度も女人と喧嘩した事がある。
どちらでも良いという振りに、じゃイタリアンと選択して、
イタリアンかぁ〜、、
と、2割程度の同意しか示されず、カチンと来た事を覚えている。
返事の雰囲気に、まだ中華を捨てきれずにいるのが、手に取る様に分かる。
再度聞く、何が食いたい?
何でも良いんだけど、、
結果、一度は寿司を食い、もう一度は家に帰ってインスタントラーメンを食ったのだ。
それ以来、食事の選択はあまり好きでは無い。ちょっとしたトラウマになっている。
私は、ジャンケンはグーと決めているし、電車には、必ず右足から乗る。
返事は、はい、はい、いいえ、でリズムを取って、自分の事は、常に棚の一番上に置いてから返答に当たる。
まず、誰にも届かない高い棚だ。
ん、何の話しか、選択だったな、、
しかし、我々の日々の選択など、どれもこれも大した事は無い。
難しいと思っているのは、皆幸せ者である。
若き日、カンボジアの国境で母が乳飲み子を抱えて佇んでいた。
彼女の選択は、子供を売るか皆が飢えるか、
まして、子供の値段は家族2週間分の食費程度と言う話しであった。
こんなものは、既に選択と言う言葉では表現出来ない領域だろう。
それが証拠に、私の日常には、あの母のような選択に遭遇した事がない。
せいぜい、小指か薬指か程度の選択だ。
しかも数日前、帰国の土産に、チョコかドライフルーツかでさんざん悩み、、結果、ゴマの入ったお菓子を買ってしまった。何故なんだ、このヤロー。
でも、そんな自分が、堪らなく愛おしいぜ、16入りならチョコだったんだが、、んー、未練が残る。
↓南無阿弥陀仏
月額たった 1,000円(税抜)で始められる本格的なお店のホームページ!
WordPress専用クラウド型レンタルサーバー『wpX Speed』