不可思議事件簿、日常と非日常

どこまでが日常で、どこからが非日常なんだろうか。

また、非日常と言う事葉、いつから使うようになったのか。

 おーッと、今日は、まじめなやつかぁ、

人は、なぜ平凡な日常に不安を感じ、変化を欲しがるのだろう。

いつも通り、安全に暮らせるだけでは、満ち足りないのはなぜだ。

例えば、不倫と言う非日常、

子孫繁栄的に考えれば、特に疑問はないが、決して日常ではない。

では、クスリはどうだ。

薬物には、習慣性や依存性がある事を十分に分かっている筈だ。

一体、進化論的に、DNAはどんな変化を求めているのであろうか。

(↑若人諸氏、誰か分からない時は、両親に聞いてくれ)

まして、現代社会においては昔を凌ぐ強烈な制裁を受ける。

いわゆる、晒し者にされるのだ。

この罰は、法律の定める所の刑罰の外側に存在する制裁で、ここまでと言う制限は設けられていない。

ようは、気の済むまで、飽きるまで、やって構わない事になっているから恐ろしい。

江戸時代にも、市中引き回しの上獄門と言う、何とも恐ろしい刑罰があったやに聞き及んでいるが、最後に獄門だから、引き回しは付録だ。

昔、遠山の金さんと言う教育番組で良く取り扱われていたので良く知っている。

少し調べてみると、以下の様な罪に対しての制裁であった事が理解できた。

  • 強盗殺人。
  • 金品を伴った貰い子の遺棄。
  • 雇い主の親類の殺害。
  • 妻の不義密通。
  • 支配されている名主の殺害。
  • 地主の殺害。
  • 毒薬の販売。
  • 秤の不正。
  • 枡の不正。
  • 公私文書偽造。
  • 身体障害者への強盗殺人。
  • 既婚女性との不義密通。
  • 舅、伯父、伯母、兄、姉の殺人。

うーん、

こう見ると、我々の行動は江戸時代から特に成長していない事に気付ける、、

薬にハマって、不倫に溺れて、、

昔は、市中引き回し、

今は、ネットに晒される。

されど、

晒せども、晒せども、やめられないのが、薬と不倫

んッ、

なんか、書き出しと話が逸れてないか、、

まあ、平行棒の演技に入ったら、段違い平行棒だったみたいな感じだろう。

このぐらいなら、ゴメンで済むレベルだ。

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