不可思議事件簿、DNAと絶倫期
DNA
生まれると、多くの人や動物、物や経験に出会い、同時に多くのことを学ぶ。
次の世代に、より良い情報を届ける為に必要な事らしい。
加えて、様々な行いを善悪に分けるのも意味のある事らしい。
しかし、老齢期に差し掛かり、他人との交流が減り、日々の行いが自己完結となって来た時、、
要は、食う、寝る、遊ぶ、が繰り返され、インプットする情報が極端に減った時だ。
同時に、アウトプットの機会も失われて行く、、
何やら寂しくもあるが、現実だろう。
しかし、この老齢期にも僅かながら蓄える知識や思いは存在する。
皆が皆、墓に持って行く様では我儘過ぎて意味がない。
この辺の経験や体験は、如何に次世代に届ける仕組みになっているのか、、
あッ、ちょっと待て、待て、
学校の先生から、情報はDNAに集約されていると聞き及んだ事がある。
ならば、なぜ、
より多くの情報が溜まった状態になってから、生殖機能が全盛期を迎え無いのだろうか。
その方が、てっとり早く情報を伝達できそうだが、、
老齢期の男女が、涼やかな眼の奥に熱く込み上げる思いを滾らせて、競う様にパートナーを求め合う絶倫期があるとするならば、
如何な光景を見る事ができるのであろうか。
その方が、人生長く楽しく豊かに暮らせるんだろうか。
そうなれば、きっと女性は何某か、DNAを読み分ける力を身に付けて、男を値踏みするのだろう。
うッ、ちょっと怖いな、
仮に90年間溜に溜めたDNAを、あっさりと、
あかんな、コイツのDNAは、要らん、、と言われたら、
きっと、米寿(八十八)辺りを花道に死んどいたら良かったと思うかもしれない、、
一つ、そんな生き方を実践している生き物を紹介しよう。
読者諸氏は、鮎と言う魚をご存知だろうか。
別名、年魚とも言われ、生まれた年に死ぬ。
生まれた瞬間から、一心不乱に苔を食(は)み、身体の成長のみに熱き思いを滾(たぎ)らせて、
最後の、ひとときの、その行為に立ち向かう。
そして、その行為が済めば、後は、、野となれ山となれ、、
まさに、潔し。
DNAを想う時、
鮎の生き様に加えて、
必ず、象とキリンを思い出す。
願うって、凄い。
しかし、その鼻や首の長さも現在は、一旦止まっている様にも思える。
十分に伸びきったのであろうか。
が、
我我の身体は、その平均が毎年の様に伸びている。
ほぼ大人の体型が整う17歳でこの100年を比べて見よう。
2015年
女、157.9cm
男、170.7cm
1965年 (50年前)
女、154.8cm
男、166.8cm
1915年 (100年前)
女、149.1cm
男、159.7cm
ほー、
この100年で、
女性が、8.8cm
男性が、11cm
平均身長を伸ばしている。
間違いないッ!
ガキの頃、近所の柿や石榴(ざくろ)に手を伸ばした、
あの行為に意味があった事に驚きを隠せない。
為せば成るものだ。
もう少しで手が届くと努力を積み重ねる事の大切さを思い知る。
DNAを情報伝達装置とした時、背が高くなりたい、長生きしたいと思う、
その結果が、現在だ。
この後、300年もすれば、日本男子も平均2メートルを超えて来る計算だが、如何に、、
しかし、なぜだ。
うちの家系には、もう少しハンサムになりたいと願う奴がおらんかったんか、、
ふ、今更恨んでも、死ぬまでこの風貌は変わらない、諦める。
ふふッ、だが、DNAの絶倫期には今暫く時がある筈だ、磨いて置こうか、我が愛しのDNAを、、
↓南無阿弥陀仏
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