東京、人酔いの夜に占い師
金曜の夜、仕事帰りにいつものメンバーで一杯引っ掛ける事にした。
ゾロゾロ、ざわざわ、流石は東京の夜である。
まして駅前ともなれば当然か。上手く流れに乗らないと肩があたりそうになるくらいだった。
ガラガラ~、年代物の提灯(ちょうちん)の掛かった引き戸を開けて、6人だけど、と声を掛ける。
らッしゃーい、と断られることの無い返事があって奥の席に上がって上着を脱いで鞄(カバン)を隅に置いたらスグに乾杯が始まった。
まだ幾人かは中腰のままで乾杯をしている。
そして、誰からともなく今週の新鮮な黒々とした愚痴を口から吐き出し始めているのだった。
私は、その耳慣れたBGMを聞き流しながらキンキンに冷えた生のジョッキを右手に持って感謝の一口目を喉に落とし込み目をつぶった。
かーッ、うまい!
で、今日は誰がおかず?
話がずれないように、すッと出て来た枝豆をぷつッぷつッと口へ放り込みながら、隣の同僚たちの愚痴に少しずつ参加して行くのだ。
しかし、サラリーマンとはなんと因果な商売なんだろうか。
せっかく身に付けた技術や能力を上司が「誰?」という不運によって使いきれず出しきれず、日々悶々と賞味期限の時を刻むのである。
そして、その無駄になってしまった物理的な時間の悔しさを調整するために金曜日にこうして集い愚痴って心の慰めとするのである。
押し殺してはハイ、耐え忍んではハイ、彼らのハイと言う返事にはそれぞれの悲しきストーリーが隠されているのである。
グビー、一杯目を飲み干して、私も便乗する。
だよな~、だいたいあのクソ部長はぜんぜん分かってないんだよ。現場の大変さがさ、、。
まあ、こんな感じで愚痴とビールのピッチが上がって行くのだった。
しかし、この手の愚痴は金曜日のこの時間辺りで吐き出しておくのが最良で、決してお家に持って帰ってはいけない。
間違って、消化不良のままや不完全燃焼のまま帰宅しようものなら確実に週末の家族サービスに差し支えてしまうからだ。
もちろん、我々の様なベテラングッチーたちは十分にそのことを知っている。だからこそ、豪快に上司の悪口を言い合い憂さを晴らすのだ。
まあ、この手の話を肴にするとビールの味が格段に上がるからと言うのも理由の一つなのだが。
いずれにしても、読者諸氏の奥様方よ、決してサラリーマンの金曜日にあれこれと口を出してはいけない。
そんな事をすれば、確実にあなたの旦那は出世が遅れる事になるから要注意だ!
★
その日も一通り皆がそれぞれに愚痴を言い終わった頃に、「お勘定!」と誰かが声を掛けていた。
もう帰るのかよ~と別の一人が言うと、また別の誰かが、帰るよー嫁さんが恋しいからなと決まり文句で金曜日の宴は終わるのである。
店を出て、じぁなー、と酔いの回った別れのあいさつで互いを見送り、それぞれが駅へ向かうのは大概夜の9時頃なのである。
皆を見送った私は腕時計に引っ掛かったワイシャツの袖口を丁寧に直して、ネオンのいくつかに目を走らせて、さーてこれからどうしようかと思案していた。
と、その時だった。駅に向かった一人が振返って戻ってきたのだ。
「野上さん、この後時間があったらもう一杯行きませんか?」
珍しい事だった。
彼は、私より四つ上の吉村という先輩で酒はあまりいける口ではなかった。
表情からすると何やら言いにくい相談事があるようだった。
こちらはこれと言った予定が無かったから、行きましょうと肩を並べて二件目の店へと歩き出した。
月末前と言うのと、彼の雰囲気から金のかかる店はやめておいた方が良いと瞬時に察して、チェーンの手羽先屋へ行く事にした。
二度目の乾杯をして、2人だけで飲むのは随分と久しぶりだなと他愛もない話から始まって先程の愚痴話を振り返り、ビールをチビリと進めながら本題に近づいていった。
頼む、野上君。金を少し貸してくれないか。
10万でいいんだ。
直ぐには返せないんだが、、、
前置きのない、ストレートな頼み方だった。
一瞬、えッと彼の方を見た。
普通、頼みごとをする奴はいろいろと長い話をしたがるもので、まして借金となれば理由をくどくどと説明してくることが多いのだ。
ダメだろうか?
言葉の端に、後がない切羽詰まった感じが少しした。
彼は、別事業部の営業マンだが長い付き合いだ。
凄い成績を出す人ではないが、常に8割ぐらいの成績を収める手堅い営業マンだ。
どちらかと言えば慎重派で冒険は好まない。
そんな人が、理由も言わず10万貸してくれと頼んでいる。
まして、金曜日の夜に10万を借りたい理由なんてきっとろくなもんじゃないだろう。
今は一昔前より厳しくなったとは言え、街中にある無人君に免許証を持って飛び込めば、10万や20万ならすぐに借りられる時代だ。
それを、今まで金の貸し借りなどしたことの無いこの俺に頼むのだから、既に少し摘まんだ後なのかもしれないなと想像を走らせた。
ああ、10万ぐらいなら良いですよ。
どうせすぐにいるんでしょ。後で、コンビニのATMにでも寄って渡しますよ。
その答えを聞いて吉村は、頭を下げて「ありがとう」助かるよとだけ言ったのだった。
その声の感じには安堵があり、きっと今夜中に何とかしなければならなかったのかもしれないと想像できた。
気持に余裕が出来たのか、強くもないくせにもう一杯飲もうとウエイトレスにチューハイを2杯頼んで、ここは俺が払うからと見栄を張った。
今から10万借りるやつが見栄を張るなよとも思ったが、それは言わずにチューハイと一緒に飲み込んでおいた。
2件目の店には、40分程しかいなかった。
店を出て、再び肩を並べて歩き出し、あまり目立たないコンビニに立ち寄って10万を引き出してすっと手渡した。
吉村は、恩に着るよと言いながら10万円を財布に仕舞い込んで、駅の改札口で一度振り返り雑踏の中へ消えて行ったのだった。
そんな彼の背中を見送っていると、何故か不安な気持ちが込上げて来た。
決して貸した金に対する不安感じゃない。まして、彼がこの後どうなろうと知ったこっちゃないから、その辺に対する不安感でもない。
何だ、この感覚は。
背中の辺りが、ゾクゾクッと触られているような嫌な感覚だった。
くそッ、何かに憑かれたか。
私は、存外敏感な方で霊的な感覚を持っている。
うー、気色悪い。
こんな夜に出て来るやつはきっと貧乏神か何かの類だろう。
あー、もう一杯お神酒代わりに飲んで行こうか。
駅に背を向け、もう一度さっきの店の方へ歩き出した時だった。
おにーさん。手相、人相、運勢、何でも見ますよ。
いかがですか~。
へー、占いかあ。
この辺りに占いが出ているのは珍しいなあ。
細い声だったが、割と私好みの声音で、外見も、でへでへ~strike!
いくら?
3,000円です。
OK、じゃ、見てもらおうかな。
あ、はい。ありがとうございますと言いながらテーブルのこちら側にある小さな椅子を勧めてくれた。
占い師としての臨場感を出す為か、テーブルの上には行灯(あんどん)に蝋燭(ろうそく)が灯してあり、手相、人相、運勢なんかの文字と手形に運命線だの生命線だの結婚線なんて文字も小さく浮かんでいた。
記憶は不確かだが、まずは右手を出してくださいと言われたので行灯の方へ右の掌を差し出した記憶がある。
一通り線や皴(しわ)を見つめて、占い師はゆっくりと言葉を吐き出した。
おにーさん、いつも同じところに居ないですねきっと。
旅行なのかな? 随分遠い所に行っていませんか?
ほー、驚いた。こちとら、ここ10年程、一年を通して海外出張ばかりしている身の上だ。
当たっているとも、外れているとっも言わないで、他には?と聞き返してみた。
そうですね~。
人生の半ばで大きな病気をしそうですから気を付けてください。
それから、残念ながら結婚運が薄いですねー。
周りに女性はたくさんいらっしゃるようですが、結婚となると運がないと出ています。
うッ、当たっている。十分に身に覚えがある。
一呼吸入れてから占い師が続ける。
それから、、、
ふんふん、なんだよー次は。
この頃になると続きが聞きたくて仕方がなくなってきた。
金運の事を聞きたかったが、ちょっと躊躇って仕事運は?と聞いてしまった。
そうですね~、、
クソ、このねえちゃん溜(ため)が上手い!
クー、早く教えて、おねがい。
仕事は、順調だと思いますよー、これまでもこれからも。
それに、出世しますね、あッ、もうされているかな?
ちょっと上目遣いにこちらを見てニッコリと笑って見せた笑顔はやはり俺の好みのタイプだった。
あと、金運ですけど、、
お金は貯まらないですねー。
、、、
あッ、すみません。ちょっと説明しますね。
あのですねー、お金は人よりも多く入ってくる運勢をお持ちです。
でも、入って来たと同じだけ出ていくと占いには出ています。
何か、お金が流れ出すのを止める為の栓か蓋の様なものを見つけないといけませんね。
その話を聞いた瞬間、ふと今日の出来事を思い出して彼女に聞いて欲しくなってしまった。
先週末、競馬で当てて小金が入った事、しかし、その金をついさっき先輩に貸してしまった事を話した。
そんな話をしていると、今までの経験があれこれと蘇ってきた。
これまで金に困るピンチは多々あった。しかし、いつも何とかなってきた。
しかし、貯金とは無縁の人生であったことは事実だ。
金が貯まらないという話を聞いて、正にその通りと愕然とした。
そういう星だったのか。
その後、しばらくの間、思い出話に付き合ってもらった。
お返しに、彼女が駆け出しの占い師であることを話してくれた。
ありがとう。とても参考になったよ。
冷静さを保つ振りをしていたが、かなり動揺していた。
なにせ、新米の占い師の占いがほぼ全てが当たっていたからだ。
そして、悟った。
自分は決して特別な道など歩んで来ていないと。
好きな事、やりたい事はほぼほぼ終わらせた。
普通の人よりたくさんの経験を積んで来たと思っていたのは間違いだった。
たった3,000円の占いでバレる程の人生しか歩んで来ていないと。
しかし、がっかりはしていない。
その真実に気付けたことが何やらうれしかったし、先程感じた貧乏神の気配も飛んで行った。
よし、お姉さん。
とても参考になったから見料をはずんで5,000円出すよと見栄を張った。
ニッコリと笑顔で、ありがとうございますと気持ちよく受け取ってくれた。
席を立って、背中を向け歩き出すのと同時に右手を上げて格好をつけた。
もちろん、その背中の後ろで占い師が、3,000円って言ったのにと5,000円を丁寧にしまっている姿など野上には知る由も無かったのである。
完
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